建物語

アウトプットの練習

建築で喩えること

建築関係以外の読書をしているとき、建築で何かを喩える表現に思いがけず出くわすことがある。それらに対して、僕はうんうんと頷いたり、その比喩は適切か?とか思ったりするのだけれど、とにかく、建築に関する知識が比喩として一般に機能していた時代なり文化なりがあったということに少し関心したりする。

というのも、最近の日本では、建築についての知識は身近なものではなくなってしまっているのではないかと思うからだ。僕たちの生活のほとんどは建築(ここでは建物とした方が正確だろうが)の中で行われているのだから、この実感が本当ならば少し不自然な状態ではないだろうか。藤森照信さんは「家誉め」を、塚本由晴さんは「相場崩し」を引き合いに出してお話するのを何度か見たことがあるけれど、かつて日本に存在した、そうした家にまつわる文化が復権するというのは、想像しにくいことはまあ確かかなと思う。

とにかく、時々そうした比喩で気になるものがあったら、引用してつらつらと何か書いてみたいと思う。以下にそれぞれの比喩が続きます(とりあえず今は引用のみ)。

デカルト方法序説

「たとえばよくあることだが、一人の建築家が請け負って作り上げた建物は、何人もの建築家が、もともと別の目的で建てられていた古い壁を生かしながら修復につとめた建物よりも、壮麗で整然している。」

 

E.H.カー『歴史とは何か』

「正確であるといって歴史家を賞讃するのは、よく乾燥した木材を工事に用いたとか、うまく交ぜたコンクリートを用いたとかいって建築家を賞讃するようなものであります。」